身体の部屋

イチローはナンバ的だ

2009 年 6 月 4 日 木曜日

イチローが好調である。シーズンインは、精神的な弱さから出遅れたが、そのハンディを感じさせない勢いである。
イチローのプレーを見ていると、流れるような動きで「踏ん張り感」が感じられない。これが、非常にナンバ的である。イチローは、打つ・投げる・走るというプレーを当たり前のように全力で行っている。しかし、診ている我々に頑張り感を与えない。いかにも軽々とプレーしているように見える。これがナンバの目指しているところだ。
例えば、ヤンキースの松井のプレーと比較してみれば、その違いが良く分かる。ヤンキースの松井のプレーは、一つ一つに力が入りすぎ、見ている我々も疲れてしまう。ナンバとは対極にある動きである。松井のプレーは、踏ん張り感・頑張り感の上に成り立っている。そういうプレーを続けていると、身体の局部に負担がかかり故障する。松井もその表れが、膝やいろんなところに出てくるだろう。ナンバと対極にある動きでも、若い間は何とか身体が持つだろう。しかし、年齢を重ねると必ず故障につながってきて、選手寿命に幕を引くことになる。松井も考え方と動きを少しナンバ的にすれば、まだまだ選手寿命が延びるのだと思うのだが。
ナンバの動きというのは、全力で動くが踏ん張ったり、頑張ったりしない。今までいろんなところで説明してきたが、イチローと松井のプレーを比較してもらえば分かりやすいと思う。そして、世界的に見ていろんな分野で名選手というのは、寿命が長いものである。いい動きだから、長い期間活躍できる。いい動きだから、流れるように滑らかに見え、見ているほうも疲れない。
選手寿命が短い者は、やはり名選手とは言いがたい。ぽっと出の打ち上げ花火みたいなもので、短期間なら無理が利くものである。いいものは長く出来るし、長く出来るものはいいものである。若さに任せてとかパワーに任せてというのも、それなりに面白いが、何かもったいないような気もする。ナンバ的に工夫すれば、もっと違う展開があるのになと。
そして、イチローに感心するのは、頑なに自分の基準というものを持っているということである。マスコミがどう言おうが、評論家がどう言おうが、そんなことには一切耳を貸さない。自分の感覚をのみ頼りにして、自分の感覚にしたがっている。ここも、イチローが非常にナンバ的なところである。現代は、客観的ということが非常に尊重されていれ、主観的というと何か自分勝手で非常に狭い見方のような取り扱いである。ナンバは、自分の主観を信じ、主観に従うことが基本である。言ってみれば、自分と対話をして主観を磨くのがナンバである。
そういう意味で見れば、イチローはナンバの体現者のように見える。

6月3日 矢野

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