身体の部屋
ナンバ歩きの原点
2009 年 6 月 17 日 水曜日霧にかすむような昔のことを思い出した。私がまだ紅顔の美少年だった、中学時代のことである。陸上競技を始め、何とか速く走りたいと思って練習していたときである。陸の孤島みたいな高知には、陸上競技の情報など入ってこず、手探りで練習をしていたころである。
高知に陸上競技の神様とも言うべき織田幹夫・南部忠平さんが来て講演があるというので、陸上部みんなで聞きにいった。オリンピックの三段跳びの金メダリストである両氏から、何かヒントはないものかと興味津々で行ったことを思い出した。多分面白い話をいろいろ聞いたと思うのだが、未だに心に残っているのは「速く走ろうと思うなら、歩くことが大事である」ということで、歩きの重要さだけが非常に印象的であった。
こうすれば速く走れるというノウハウ的なものは何もなく、上手く歩けるようになれば速く走れるという話だった。走るということの基礎は歩きであり、歩きを磨いていくことが走りにつながるということである。田舎の高知で中学生をやっていた私は素直で、なんとそれから40年以上にわたってそのことを考え続けている。
どうすれば上手く歩けるか、どうすれば効率よく歩けるか、どうすれば走りにつながる歩きができるか、飽きもせず半世紀近く考えては実行してみる。誰でも歩けるという、この簡単なことを課題としてきた。「歩き」というヒントを与えてくれた、今はなきオリンピックの金メダリストである織田・南部の両氏はやはり偉大である。なんせ、すぐに答えの出ない、40年以上もかかるような課題を与えてくれたのである。
そして最近、「歩き」という永遠と思われた課題に、少し近づいたと思えるのは「ナンバ歩き」の探求である。「歩き」という課題を解決したとは思わないが、少し近づいているのではないかという実感はある。勿論、「歩き」の課題を解決していないので、「ナンバ歩き」はまだまだ進化、進行中である。いつも、解かったと思ったところが、スタート地点となり課題と取り組んでいる。解かったなどと胸を張っている人は、課題自体が解っていない。また、目先のものにすぐに飛びつく者は、何も解決しないで進んでいるお調子者だ。
素直だった中学生も、すっかり世間の垢にまみれ大人面をするようになった。しかし、いまだ解決できない「歩き」という課題を抱えている。何という課題だとも思うし、こんな楽しい課題を与えてくれた織田・南部両氏は、やはり凄い。「ナンバ歩き」で解決できるかどうかわからないが、ナンバ歩きを深めていって正解に近づきたいと思う。
こんな課題を持っている私は、幸せ者だろう。
6月17日 矢野
