身体の部屋

国際民俗芸能フェスティバル

2009 年 2 月 20 日 金曜日

我々は、民俗芸能を伝える荒馬座にナンバの指導を行なってきた。最初は指導する立場であったが、荒馬座の宮河君を中心とするグループは非常に熱心で、今では民舞に対する共同研究者のようなものである。その宮河君から、国際民俗芸能フェスティバルというものが国立劇場で行われ、その切符を送ってもらった。水曜日は、学校で高校と大学の入試の判定会議が朝から行われ、終わったのは五時を過ぎていた。それから、長谷川君と新宿で待ち合わせ、いざ国立劇場へと向かった。
当日の出し物は、「対馬厳原の盆踊り」「金沢八幡宮掛け歌」「黒森神楽」それに「ベトナムの歌と踊り」であった。長谷川君と、踊りにどうナンバを活かすかというテーマでじっと見ていた。日本の出し物は、それぞれの地方の保存会の人たちが歌ったり踊ったりしていた。
保存会の人たちの努力があればこそ、伝えていけるものである日本の伝統文化だと思う。そのことには何の文句もないし、ありがたいことだと思って見ていた。しかし、その踊りを見ていて正直に感じたことは、昔の人はこうは踊っていなかったんじゃないかなという事である。動き自体が現代的に見え、昔の面影を残していないということである。
何十年、何百年にも渡って動きを伝えていくということは、非常に難しいことだと思う。着物を着て草履を履いて生活していた人たちの動きを、現代の洋服を着て靴を履いて生活している我々が、どれだけ動きを正確に伝えられるかという問題がある。また、それを舞台や人々の前で演じるときに、素直な表現というよりも派手なパフォーマンスにしようという傾向があるように感じられる。
別に保存会の人たちの努力を無にしようというのではなく、保存会の人たちがその踊りを宮河君たちに伝えれば、そこから宮河君たちが踊りを洗練さすことが出来ると思う。保存会の人たちが伝えている源流から、宮河君たちが踊りを研究し、昔はこういう身体の使い方であっただろうと復元していくほうがいいように思える。なんせ、宮河君たちは、日本上の様々な民族舞踊を日々研究を重ね多くの人たちの前で発表しているのだから。
踊りという動きを残していくためには、やはりその道の専門家に任したほうがよさそうである。荒馬座の踊りを見れば、ああ昔の人たちもこうして踊っていたんだろうなと納得させられる。このことは先日、荒馬座でアイヌの踊りをネイティブと宮河君たちが踊るのを見たときにも感じたことである。
そのうち民族舞踊評論家でも名乗ろうか。

2月20日 矢野

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