心の部屋
ちょっとした錯覚
2010 年 2 月 9 日 火曜日ナンバでは、「頑張らない」で「ナンバる」と言ってきた。頑張るということは、余計なリキミや余分な力が入りすぎることだからよくないと。そして、さぁ頑張ろうという意気込みは、周りに伝わることはお解かりであろう。その頑張ろうという気持ちが、自分だけでなく周りおも緊張させ堅苦しくしてしまう。それは、知らず知らずに周りに迷惑をかけていることになる。そういうことにまったく無頓着というのも幸せに生きていけるかもしれないが、陰でみんなに嫌われることになる。
動きに関しても、頑張り感を消していこうと言ってきた。動きにおける頑張り感も、無理をしている、無駄なエネルギーを使っているということになる。他人の動きを観察しても、違和感を覚えるときは、動きから頑張り感が伝わってきていることである。無理や無駄をしながら動いたところで、努力の割に効率が非常に悪いということである。そんな動きをしていれば、単に疲れるだけ出し、動くことが楽しくなく嫌になってきても仕方がない。
ナンバで言う「踏ん張らない」というのは、「頑張らない」ということにも通じる。頑張らなければならないということは、よっぽど嫌なことと向きあっていることだろう。嫌なことだから、頑張ろうと気合を入れなければ向き合えないのではないだろうか。そんなに嫌なら、頑張ろうと思う前に止めてしまえばいいのに。
そんなことを思っていたら、ふと「努力する」というのも同じではないかと頭をかすめた。振り返ってみるに、ここ二十年間くらい努力したということがないように思えた。自分は、何も努力していなかったのだと認めるしかない。非常に不謹慎に聞こえるかもしれないが、好きなことを楽しみながらやっているだけで、月日を重ねている。好きなことを楽しみながらやっているから、暇かというとそうでもない。楽しむためには、それなりの準備と集中力が必要であり、全力で取り組まなければならない。中途半端な気持ちでは、楽しむことは出来ない。
しかし、世間では「努力しなければ」「努力します」とよく聞く。努力していない自分は、怠け者かという疑問が湧いてくるが、負けないぞ。「頑張る」と同じことで「努力する」も、嫌なことに立ち向かっているのだろう。嫌だということを認めたくないから、しゃにむに頑張って努力するのだろう。何か勘違いをしている。
自分が好きで楽しめることだったら、何をやっても努力しているなんて感じないだろう。他人から見たら、頑張っている、努力していると見えるかもしれないが、本人は努力感なんてなく、ただ楽しんでいるだけではないか。
「頑張らなければ」「努力しなければ」と思う時は、本当に自分の好きなことと向き合っているか確認したほうがいい。好きなことをやるか、好きになるかしかないから。
2月9日 矢野
