心の部屋
依存してないか
2009 年 7 月 24 日 金曜日人間の心は、麻痺しやすいものである。いつの間にかとか、これが普通だとかで済ましていることが多い。ぬるま湯である。
親子関係にしても、子どもは全くの無力で生まれてくる。人間の赤ちゃんほど未熟で、手のかかるものはない。だから、母親は、懸命に面倒を見る。時には、自分を犠牲にし、大きな夢を託して子どもを育てる。
そして、子どもは日ごとに大きくなる。母親は認めたくなくても、子どもは成長していく。母親にとっては、子どもに対していつまでも小さく無力なままでいてほしいという気持ちが心の底に芽生えてくる。この子にとって私は、必要不可欠なものだと思えることは非常に快いものである。私がいないと、この子は何も出来ないと、一段上に立ってみることは快感である。
母親が、一度くらいこういう思いに駆られるのは、ごく自然な成り行きだろうと思う。しかし、いつまでもこういう思いに捉われていてはいけない。子どもを自分の手から離して、自立さすのも母親の役割である。いつまでも母親がついて、一緒に生きていく訳ではないし、そんなことをすれば異常だ。母親の手を離れるときが、反抗期である。まともな反抗期を迎えさすのも、母親の役割である。
しかし、最近の母親を見ていると、私から見れば子どもに依存しているとしか見えない者も少なくない。自分の子どもに、しっかりと寄生して一緒に生きていこうとしている。その異常さ、気持ち悪さに気がついてもらわないと。子どもは子どもとして一個の人格であるし、子どもの人生を生きるべきである。母親との二人三脚ではなく、友人や恋人との二人三脚を組まなければ正常でない。
母親が、子どもに夢を託すこともしてはいけない。自分の夢は自分で叶えることだし、誰かに夢を託すことは、それも依存である。母親は、子どもの影の応援団という姿勢で充分である。子どもの人生のレールを、母親が轢くことはない。母親に子離れが必要だし、子どもには親離れが必要である。
子どもも、いつまでも親の保護や援助ものにいることが心地いい。何かあれば親に頼れば、親が全部解決してくれる。子どもが自分で選択することも、決断することも、責任を取ることもない。すべて親任せである。子どもにとっては、それも居心地のいい快であろう。しかし、そんなぬるま湯のような快に浸っていれば、人間がダメになるに決まっている。子どもも、早く自立するように、親に反抗するべきである。親に反抗しない限りは、親に対して批判的にはなれない。まず、親に対して批判的になり、それから世の中に対して批判的になるべきであろう。
親と子どもの甘ったるい相互依存関係が、世の中のいろんなところで歪みとして表れている。私は、家庭に問題があると思うし、親子関係に問題があると思う。それは、気がつかないうちに陥っている共依存の関係である。
7月24日 矢野
