心の部屋
思い込み
2009 年 6 月 22 日 月曜日人は、本を読めば自分の読みたいように読み、話は自分の都合のいいように聞き、物事は自分の解釈したいように解釈している。だから、同じ本を読んでも、同じ話を聞いても、人それぞれで違う。そこには、本人の思い込みというフィルターがかかっている。本人の思い込みというフィルターを通せば、すべて自分の見たいように、聞きたいようにしかならない。
思い込みが悪いといっているにではなく、自覚する、しないに関わらず誰にでも思い込みというものがあることを納得してもらいたい。だから、同じ本を十年後に読めば、違う感想文が書ける。また、同じ映画でも、十年後では違った感想になる。もし、十年経って同じ感想でしかなければ、自分は変わっていない、成長していないということになる。
自分が成長するということは、勇気を持って変わることだし、変わるということは行動を変えるということである。自分が変われば、自分の思い込みも変わってくる。
では逆に考えてみよう。自分は、思い込みを持っている。その思い込み、言い換えるとフィルターの質を変えるようにしよう。それが、公平に見ることだったり、幅広く見ることだったり、異分野を関連付けるということにつながる。我々の思い込みというフィルターが、物事の真実や本質を見えなくしていることに気がつかなければならない。
ナンバ式に心の自然体を考えると、このフィルターを取り外すのではなく、フィルターの質を変えなければならない。人間から、フィルターという思い込みをまったく取り外すことは、これは不可能であろう。そして、個人個人のこのフィルターが個性というものかもしれない。最近、こう思っている。だから、フィルターの質を換えても、みんなが同じになるということはない。思い込みや思い入れは誰にでもあるが、それぞれの個人にあった自然体を探さなければならないということである。
ナンバ式で考えるようになって、心の問題もだいぶ整理がついてきた。個人個人の心があり、その心の自然体というものも幾とおりかあるということである。理想形があって、みんながそれを目指すというものではない。各自の理想形を求めるというのが、ナンバ的である。しかし、ナンバ的でない考え方は、最初に形があって、その形に当てはめようとするから、あっちこっちで無理がくる。まして、心などというものに、理想形などあろうはずがない。心は、いつも揺れ動いているし、一箇所に留まることなどない。だから、心のことを取り扱うときこそ、ナンバ的に考えたほうが上手くいくと思う。心は、ナンバ的に対応していこう。
6月22日 矢野
