心の部屋

感性を考えている

2008 年 10 月 23 日 木曜日

 ここのところ感性について、いろいろと考えている。
最近は、午後五時を過ぎると、あたりは暗くなってくる。それは、突然そうなるのではない。夏の午後七時を過ぎても明るい頃から、毎日毎日ゆっくりと日が短くなってきたのである。その変化に気がつかないということが、感性が乏しいということである。
 そして今、イチョウが色づき始めている。その変化も見落としてはならない。気がつくと、イチョウは黄色に変わっていたではいけない。それならまだしも、気がついたら落葉していたという人もいるはずだ。情けないことである。
 感性というのは、微妙な変化に気がつくということである。それも、五感を使って、変化を知るということである。変化を知ったことを感じ、それを言葉に置き換えていく。そういう作業を怠っている。だから心が貧しくなっていく。
 古来、日本人は感性が豊かであったはずだ。四季の変化がはっきりとしていて、動植物は豊富であった。四季に応じて、周りのものが様々に変化をしていく。そして、それらの変化を眺めている余裕があった。だから、物質的、金銭的には貧しくても、心は非常に豊かであった。そこから、日本独特の文化が生まれ、育ってきた。
 いま心の貧しさが原因で、多くの犯罪や事件が起こっている。心を育てるとは、よく聞く言葉である。しかし、具体的にはどうやって心を育てるのだろう。クラシック音楽を聞かせても、感性が育つとはうちの学生を見ていてとても思えない。クラシック音楽だけでは駄目だし、絵画だけでもダメで、文学だけでもダメだろう。
 自分の身体である五感をすべて使って、体験することにより変化を知る。そうしない限り、感性は育たないと思う。自然の中で五感を使えば、感性は磨かれる。机の前に座っているだけでは、感性ではなく理屈しか身につかないだろう。部屋にこもっていてばかりでは、感性はやせ細ってしまう。
 さあ、部屋から外に出て、見回してみよう。普段見落としているものが、たくさんあるのではないか。何かを見つけたら、まず触ってみよう、匂いは、味はと興味を広げていくこと。
 感性を育てるきっかけとなるのが、好奇心である。なんだろうという好奇心を刺激しなければならない。そうしないと無関心、無感動が、無限に広がっていくことになる。
 もう少し、感性について考えて、考えがまとまったら発表しようと思う。

10月22日 矢野

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