心の部屋
暖かくなけりゃ
2010 年 6 月 9 日 水曜日やっとここにきて、半袖を着るくらい暖かくなってきた。なんせ私は、土佐の高知の生まれ育ちだから寒いのは苦手で、暖かくなければ元気が出にくい。三月の末からずっと暖かくなれと祈っていたのに、今年はなかなか暖かくなってくれないので、少々元気なく暮らしていた。それでも、普通の人よりは元気に生きているつもりではある。
気候も暖かいほうが良いが、人間も暖かくなくてはダメである。この人間の暖かさというのは、かなり難しく人間性の豊かさではないかと思っている。ただ優しい人間や親切な人間は、それはいるだろう。しかし、優しいとか親切だけでは、私の心は動かない。これはへそ曲がりということではなく、暖かさがないと心が反応しないのである。
人間性が豊かということは、生きている中でその人が何を学んできたかということに左右される。人を羨まない、妬まない、憎まないなどということを身につけてきたか、羨望、嫉妬、憎悪などを人に抱いてきたかで人間性はまったく変わってくる。
人間性に、知識や経験、業績などは何の関係もない。ましてや、肩書きや財産など何の意味もない。そういうものを振り回している人は、冷たくしか感じないし、そばに居たくもない。そういう冷たい人も、世の中には大勢いることは確かである。だから、温かい人が好きな私としては、非常に困ることも多い。冷たい人は、嫌いなのである。冷たい人とは、関わりたくもないし、お近づきにもなりたくない。
人間性が豊かかどうか、暖かいかどうかは、簡単に判断できる。それは、会って近づいていけば、身体が自然に反応する。温かい人や人間性が豊かな人に近づけば、身体全体がゆったりとして心地よい気分に覆われる。そういう人は、うまく説明できないが暖かい人である。反対に、身体が強張って緊張する人は、自分にとっては冷たい人となる。こういう、自分の身体の反応に正直に生きていれば、温かい人を選びやすい。自分の身体の反応に鈍感だと、騙されたり裏切られたりするまで気がつかないことになる。だから、身体を敏感にしておくことは大事なのである。
いつも、自分の身体と対話を行い、身体の快・不快に注意を向け、身体の快を大事にすることである。そして、身体が不快と感じていることは、なるべく避けていくことである。
私は、単純なことだと思うのだが、身体の快・不快に従うということを基準にすればいい。温かい人というのも、そうやって見れば意外といるものだ。だから、周りの暖かい人たちに救われている自分は、幸せだと思う。
6月9日 矢野
