心の部屋
自分を苦しめるもの
2009 年 6 月 1 日 月曜日我々は、自分で自分を苦しくしていることに気がついているだろうか。誰かに憧れることはいいが、なぜ憧れるだけに留めないで真似をしてしまうのだろう。人の服装を真似る、生活様式を真似る、仕草を真似る、どれも自分を苦しくすることばかりだ。そこには自分はいない、全部自分の表面を滑り落ちていく軽薄な装いである。真似から入ることが大事な時期もあるが、いつまでも真似のままではどうしようもない。
それよりも、真似をする奥にあるものは何かと、本質をつかなければならない。表面しか見ていない人は、永遠に本質にはたどり着けない。表面が手変え品替えで変われば、大慌てで自分の変わろうとする。本質は何も変わっていなくても、そんなことには気がつくはずもない。本質さえ掴んでいれば、表面の飾りなどどうでもいいことである。
これは、人を見たり、ものを見るときに充分に気をつけないと、そのことが自分を苦しめる原因になっていくことにも気がつかない。人は苦しさの原因を、自分以外の外に求めがちだが、実は自分の中にあることが多いものである。
また、自分自身においても、自分を苦しめる種が宿っている。それは、自分の等身大というものが分かっていない人が、これまた非常に多い。みんな自分の等身大で生きていいれば、楽しいことは楽しいと受け止めることが出来るし苦しいことは苦しいと受け止めることが出来る。
しかし、自分の等身大で生きていないと、わけの分からない苦しみに襲われる。それが、心を乱し、体調を狂わす。自分の等身大で生きるということは、簡単なことのように思われるが、自分自身を知らないものにとっては至難の業である。
自分はこれだけの人間だ、自分にはこれが出来これが出来ないということを自覚し。自分が成長すれば成れる自分は描けるが、いま現在ではこれが自分だと自覚できること。簡単なようだが、これが難しい。
人は、ともすれば今の自分より少しだけいい自分を演じたがり、背伸びをする。そして、背伸びを続けることが自分を苦しめるようになる。自分ひとりになったときに、たまらない自己嫌悪に教われるようになる。もっと楽に生きればと気づけばいいが、苦しさにおかしくなりそうになる。
また、自分を、卑屈に過小化して嫌らしいへりくだりで生きている人もいる。それで充分に満足できていればいいが、時々苦しさから大爆発を起こす。本人も、薄々はこんなものではないと気づいているが自分自身に自信が持てない。威張る必要はないが、普通にやればいいということが苦手なのである。何かコンプレックスがあるなら、処理すればいいのである。
このように自分で自分を苦しめるのは、自分の中に原因があることに気付かなければならない。誰も外からあなたを苦しめているのではない。あなたが自分に正直になれば、楽になることはいくらでもある。周りや流行に流されず、自分の思うがままに生きていけばいい。ほんの少しの勇気があれば、簡単に出来ると思うのだが。
5月31日 矢野
