心の部屋
薩摩隼人に学べ
2009 年 2 月 27 日 金曜日現代は、学校に適応できない、会社に適応できない、社会に適応できない人が多い。適応できないとは、不登校や不出社になったり引きこもったり、ウツになったりということだ。そして、最悪の事態では自殺にいたる。これは、ひとえに心が弱い。心を軽く見ている。心の鍛錬がなされていない。もっと心を強くしなければ。
そこで、戦国時代から最強を誇ってきた島津家に仕えた薩摩武士たちの教育方針に注目したい。
薩摩では、学問はほどほどでよく、人間の価値は潔さと勇敢と弱者に対する憐れみの三つでもって量られるとしている。
学問などはほどほどでいい、私もそう思う。机に向かっての知識ばかりが大事だと思っているから、心がおろそかになってくる。机の上の知識よりも、人の人情の機微がわからないと人間集団ではやっていけない。一流校に入ることだけでは、手落ちである。
それよりも、人間としての潔さが問われる。潔さとは、自分で決断し自分で責任を取るということである。親や先生の言いなりで生きていては、決して潔さは身につかない。自分の意志を尊重することである。自分が何をやりたいのか、それを大事にしなければならない。そして、結果に対しては、何も言い訳をせず受け入れるということである。謝るべきときには、ただ心から謝るしかない。最近は、潔くない人間が多い。
次に、勇敢さである。勇気と言ってもいい。勇気というのは、突然必要になることが多い。そのために、普段から覚悟をもって生きていなければならない。自分にとって生きていくうえでの、大事なことの優先順位を確認しておくことである。そうしておけば、事において迷ったり悩んだりすることはない。決断したら、全力で取り組むしかない。そういうことを淡々と出来る人が、勇敢であるという。無鉄砲と勇敢は、まったく違うことである。勇敢な人というのも少ない。
そして、弱者に対する憐れみをもつことである。弱者に手を差し伸べ、救ってやれないような人間ではどうしようもない。弱者というのは、自分より弱いものを指す。自分が盾になってもという気持ちがないと、人間関係を築くのは難しい。いつも誰かに依存しているようでは、人間関係は築けない。弱者を見て、馬鹿にしたりいじめたりという事は、人間として恥ずべきことである。
勉強や仕事ばかりしないで、薩摩隼人に学べ。
2月26日 矢野
