教育の部屋
いま竜馬が面白い
2010 年 2 月 15 日 月曜日現在、NHKの大河ドラマで放映中の竜馬を、毎週楽しく見ている。話の進み方には、「えっ」と思うこともあるが、この竜馬が、私のなかの竜馬像とイメージがよく合っている。他の配役は、何でと首を傾げたくなるところもあるが。
竜馬の魅力は、好奇心が強いこと、物事を関連付けて考えまとめる能力があることだろうと思う。しかし、私は、同じ高知に育ち、小さいときから何かと竜馬に触れてきて思うことは、竜馬の平等意識というものである。
竜馬は、「人斬り以蔵」と多くの人たちから恐れられていた岡田以蔵とも人間として対等に触れ合っていた。竜馬と以蔵は土佐で幼馴染ということもあったが、それだけではない。
竜馬は、どこのどんなに偉いといわれた大名と会っても、土佐弁丸出しで唾を吐き散らしながら懸命に話した。そして、竜馬は商人とでも百姓とでも同じように接した。
竜馬は、土佐の身分制度への嫌気と広く世の中を見ようと脱藩して、諸国を渡り歩いた。土佐の身分制度というのは、関ヶ原の戦いで勝利した徳川側の山内一豊が土佐を治めに入ってきて、長宗我部侍を弾圧した。上士といわれる山内侍の天下で、郷士である長宗我部侍は人間扱いをされなかった。生まれたときからその身分は決まっていて、死ぬまで変わらない。徳川幕府というのは、厳密な身分制度のうえに成り立っていた。そして、竜馬も以蔵も、郷士といわれた長宗我部侍であった。
竜馬は、靴屋の倅に生まれても大統領になれるというアメリカの話を勝海舟から聞き、日本もそういう国にしなければと幕末を奔走した。竜馬は、身分制度などのない、人間として同じように暮らせる日本を目指した。
そんな竜馬は、以蔵とも同じ人間として接していた。竜馬以外の人間は、以蔵を虫けらのごとく扱い、暗殺マシーンとしてただ利用した。以蔵に心を開いて接したのは竜馬ぐらいで、以蔵は、そんな竜馬が好きで斬首されるまで竜馬のことを慕い続けた。
竜馬は、以蔵を可愛がったのではない。可愛がれば慕われると思うのは、それは大きな思い違いである。可愛がるというのは、上から下へという関係である。だから、上から「可愛がってやった」という恩着せがましさで押し付けても、相手はそれを敏感に感じ取り、とてもありがたいなどと思わない。見返りを求めないときにはじめて、相手は「可愛がられた、面倒を見てもらった」という思いが湧き上がってくるものである。「教えてやった」「育ててやった」なども同じことである。
竜馬は以蔵と、同じ人間として接していた。それだけのことである。しかし、以蔵は人間として接してくれたことが、何よりも嬉しかった。その結果、以蔵は死ぬまで竜馬のことを慕っていた。そこに、竜馬の人間的な器の大きさがある。竜馬は、一貫して偉い殿様でも以蔵でも誰でもすべての人に、同じ人間として触れ合ってきた。
人間は誰でも、同じ人間として扱われたとき、同じ人間として接してもらったとき、一番嬉しいはずだ。誉められたり、認められたりなどということは、ほんの小さなことである。
竜馬の「人間として同じ」という触れ合いかたの結果、多くの人に愛され慕われて、協力してもらって維新に向けての大事業が出来たのだろう。
私も土佐出身であるから、竜馬にも以蔵にも兄貴分のような近さを感じている。
また、折を見て竜馬について語ろう。
2月15日 矢野
