教育の部屋
もっと草木に優しく
2010 年 1 月 13 日 水曜日1751年スウェーデンの博物学者カール・リネンは長年の観察から、花の開閉時刻に規則性があることを発見し、その性質を利用して花時計を考案した。世の中には、いろんな時計があるが花時計とはさすがであるし、自然と触れ合えているという安心感がある。ちょっとしたロマンチックも感じる。
植物は、太陽を中心とした自然の法則の中で生きている。四季により太陽の傾きは異なり、日照時間も異なる。そして、花をつけるものは花をつけ、葉っぱの色を変化さすものは色彩を変える。植物は何も言わないが、黙々とそういう営みを続けている。
ところが傲慢な人間は、植物が何も言わないことをいいことに、夜になっても植物に光を浴びせかけるし、ひどいことにはイルミネーションと言って植物に光を巻きつけてしまう。人間だけの満足のために、イルミネーションだライトアップだと騒いでいる。植物による光を当てるということは、植物にとっての自然の環境を破壊しているということに気がつかない。人間とは、いい気なものである。森林の伐採とかには、目を吊り上げて自然破壊だと叫びながら、ライトアップすることには何も言わない。
私は、自然保護だとか環境破壊だとか叫ぶ気はさらさらない。しかし、小さいころ高知の田舎で山、海、川、広っぱなど遊び場は自然のなかであった。そして、自然の中で楽しく遊んだし、いろいろ学ばせてもらった。だから、自然は大好きである。そして、自然の中で生かされているという感覚が身についてきている。だからこそ、人間は傲慢であってはいけないと思う。
人間だけの気持ちよさや楽しさのために、自然を際限なく犠牲にしてもいいなどということはあってはいけない。自然の中で生きていくということは、それだけで少なからず自然を傷つけている。それは自覚しなければならない。しかし、必要以上に傷つけてはならないし、やっていることの不自然さに気がつかなければならない。夜は暗いものというのが自然であるのに、何がライトアップだと言いたい。
昼間は明るく活動する時間で、夜は暗く休む時間というのが自然ではなかろうか。夜明るくして、何をしようというのか。昼を暗くしようという人はいないではないか。植物が何も言わないからと言って、やりたい放題というのはけしからん。
文明の進歩か何か知らないが、人間自体が力を持ったと思うのは思い上がりでしかない。いつまでたっても人間は自然の中で生かされている。そして、動物も植物も同じ生き物として仲間であり、共通の地球に住んでいると思うのだが違うだろうか。いま葉を落としている植物も、春になれば葉をつけ花を咲かせて我々を楽しませてくれる。人間を楽しますために生きているわけでもないのに、勝手に我々が楽しんでいる。
こんなことを思うのも、東京という自然の少ない所で住んでいるから、少ない自然が気になるのかもしれない。自然がたくさん残っている高知に帰れば、何も考えないで酔っ払っているかもしれない。どっちが幸せなのかは分からない。
大声をあげて叫ぶほどのことではないが、少しは言ってみたい気になるほど今日は寒い。私にとって寒さは大敵で、震えながらじっとしているしかない。しかし、こうやって寒いということも自然を感じさせてくれる。寒いのは嫌だけど、それを感じるしかない。
1月13日 矢野
