教育の部屋

人間がない

2009 年 7 月 5 日 日曜日

東京国際フォーラムにて、我々が取り組んでいるチャレンジナンバの報告に当たるものを学会発表した。
我々のナンバと村岡先生の基本指圧の共同で、二分脊椎症の子どもの歩行改善に取り組んだ。確かに、踵を着けて歩けるように歩行は改善された。我々は、全身のバランスをとりながら、全身で動けるようにとナンバ的に対応した。痛い方向や無理のある方向には体を動かさず、何も抵抗のないほうにのみ動かして改善していった。
その余禄として、自力排便が出来るようになった。我々は、二分脊椎症が何かもロクに調べないで、目の前の人間の歩行改善を行っていたら、二分脊椎症では自力排便ということが非常に重大なことだというので学会発表に踏み切った。
日本二分脊椎症研究会では、我々の取り組みに理解を示してくれている脳神経外科医の藤原一枝先生が発表をしてくれ、我々は質問が出たときの要因として会場にいた。我々の発表も無事に終わり、質問にも藤原先生が答えることで一応専門家の前に示すことが出来た。
我々の発表が終わってから、昼飯まで時間があったのでその他の発表も会場で聞いていた。研究発表というのは、自分の現場で起こっていることを様々な角度から分析して、新しいことが分かればみんなにその資料を提供するということで大事だろう。
しかし、聞いていて、それぞれの研究は現場にとって意味があるであろうが、何か腑に落ちない。全体というよりも、局部をいじり回しているような気がする。身体の中の細かい局部、部分だけが一人歩きをしているようで、そこには肝心の身体全体がない。言い換えれば、人間のことを取り扱っているのに、どこにも人間というものが感じられない。私は、これが嫌なんだ。
学会という名のつくものに何回か出席したが、みんな重箱の隅をせこく突っつくような研究であったり、言葉遊びのような研究であったりする。それでも、人間のためという大義名分があれば、どんな研究でも許そう。現実は、研究のための研究であったり、昇格のための数合わせのための研究であったり、どこにも人間のためということがない。人間のためという大義名分のない研究なんて、止めてしまえばいい。
研究だけでなく、現場でもそうである。人間のために行うことということが抜けているものが、大手を振ってまかり通っている。大事なのは人間のはずなのに、なぜ人間を置き去りにする。私は、それが許せない。
何のためにやるのだ。人間のためだろうがを、忘れるな。

7月5日 矢野

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