教育の部屋

人間の多面性

2008 年 9 月 26 日 金曜日

先日、大学の学園祭があって、私も参加した。私は、ピンチヒッターではあるがダンス部の顧問をしている。そのダンス部が、学園祭でダンスを披露するというので私も参加である。
ダンス部といっても、ヒップホップの踊りである。教室で気楽に見ていればいいと思っていたら、私も役目がありなんとディスクジョッキーでMDやCDを交換しながらの進行役である。デッキなんか普段扱っていないので、上手く出来るかどうか心配であった。しかも、服装まで用意されている。膝の少し上まであるダブダブのTシャツにこれまたダブダブのジーンズである。どう見ても今風の若者ファッションで、おまけに帽子までかぶるはめになった。誰がどう見ても、大学の先生には見えない。
当日踊っている学生の父兄も何人か見えていたが、あれが先生などと言われてしまう始末である。ダンスを見に来ていた他の学生は大喜びであったが、なんか客寄せパンダみたいな気持ちである。しかし、たまには学生にサービスしなければと二日間もパンダを演じていた。

普段、学校で見る学生の姿というのは、授業中とか休み時間のほんの少しである。しかし、学校ではそれで「いい子だ」「問題がある」と評判になる。私は、そんな評判は関係なく、自分の前でどうかで見ている。しかし、学園製の出し物で、集団で何かやろうとするときを観察していると、人間のいろんな面が見えてくる。
周りがよく見え非常によく気がつく子もいれば、自分のことだけで我が儘に振舞っている子もいる。それは、普段見えない姿である。授業では、集団で何かやることは少ないし、たとえ集団でやったとしても教員の目がある。そのときには、学生は教員の目を意識した行動になる。
私が観察しているといっても、学生に同化して注意もしないしアドバイスもしないでただ眺めているだけだから、学生の生の姿が見られる。それにしても同じような歳の学生でも、こんなに行動が違うのかと驚かされる。これは学校の教育ではなくて、家庭での躾けによることだろう。
家庭での躾けがあり、教員や大人の目の届かないところでの共通の目的を持った集団活動を行ってきてこそ身につくものだろうと思う。いま欠けているのは、こういう集団行動で、こういう体験のないまま社会に出るから、社会に溶け込むことが出来ないのではないか。

9月26日 矢野

サイト検索

カスタム検索

活動履歴

関連図書&DVD購入