教育の部屋
信長・秀吉・家康
2008 年 2 月 14 日 木曜日一流大学といわれるところもある。一流企業と言われるところもある。そして、多くの 成功している社長もいる。そういうものを指してエリートと呼んでいる。私には違和感があるが、そういう人たちがエリートと呼ばれることを受け入れよう。し かし、どこをどう見回してもリーダーと呼べるような人は非常に少ない。政治家には、ほとんどリーダーは不在である。
リーダーが不在だから、歴史 上に理想のリーダー像を求める。そこでよく取り上げられるのが、信長・秀吉・家康である。信長の斬新な理想にまい進する姿、秀吉の人心を掌握する人たらし 術、家康の頑なに堅実に守りぬく姿に惹かれるものと思われる。そして、人は自分が描いたリーダーたろうと真似をする。しかし、真似は所詮真似で、それは自 分とは違うことに気が付いていない。
人は、他人の真似をしても仕方がない。自分を生きるしかない中で、自分を成長さすしかない。そのためのヒントとして受け入れるならいいが、ただの真似では仕方がない。
信長・秀吉・家康は、それは人間的にも魅力があり素敵である。しかし、彼らはいずれも大将である。その大将に仕える部下の身になって考えたことがあるだろ うか。信長は、確かに人気のある大将である。しかし、信長の下で働くことは、絶え間なく新しい才能を磨いておかなければならない。光秀などは、そのプレッ シャーでノイローゼのようになり本能寺の変を起こした。あなたは、信長の下で働けるか。
秀吉は、人間心理に通じていて、その下で働くには。いつも心を見透かされている立場で働かなければならない。自分の心を見透かされているという状態に、あなたは耐えられるか。
家康は、忠誠のみを信じ、いつも疑いの目で人を見ている。家康に、永遠普遍の忠誠を誓って仕えられるか。
簡単に理想のリーダー像などというが、その下に仕える者の身になって考えたことがあるか。リーダーとかリーダーシップを考えるときには、それを支えてくれるフォロワーとかフォロワーシップを共に考えないと、片手落ちであろう。
リーダー教育は大事であるし、私も行うつもりである。しかし、私のリーダー教育は、フォロワー教育なしには成り立たない。これは、スポーツチームの勝利への道の考え方からきているし、それをナンバ的にアレンジしたナンバ式コーチ学でやっていこうと思っている。
矢野
