教育の部屋

学ぶ姿勢

2009 年 10 月 5 日 月曜日

私は、授業をやったり講習会をやったりで教えたり指導することが多い。しかし、なかなか私の思い通りに伝わらないもどかしさを覚えることがある。これは、私の言い方が悪い、見本の見せかたが悪いことも当然あるであろうと反省はしょっちゅうする。

しかし、一方で学びかたが悪いということにも思い当たる。私が言っていることを、無心で聞いていない。無心で聞くということは、自分の考えや思い、感想を間に挟まないで、まずは最後まで聞くということである。これがなかなか難しいようで、私が話している最中に考え込んでいる。考えたり、判断したり、どうこうするのは、全部話を聞いてからのことであると思う。だから、私の話のごく一部しか聞いていない。これではいくら伝えようとしても、正確に伝わるはずがない。なぜ、話を全部聞けないのだろう。これは、私の正直な感想である。私の話の中の、一行や二行では全体で何を言っているのか分かるはずがない。

また、ナンバの動きやいろんな動きの見本を見せる。このときも、動きの肝心なポイントは何も見ていない。これは少し難しいのだが、どんな動きにもポイントがある。そこを見逃せば、動きの本質は捉えられない。例えば、ナンバ歩きは、右手右脚同時に出すのではないといくら見本を見せても、いまだにナンバ歩きは右手右脚を同時に出すことだと理解している人が多いことに悲しくなる。

動きを見ることは、街に出ればいくらでも出来る。そして、動きを見る目を養わなくてはならない。まず、動き自体に違和感があるかどうか。そして、違和感があれば、どこの動きがおかしいかを考える癖をつけることである。また、非常に滑らかに動いている人を見れば、どこの動きが滑らかかを観察するようにする。動きに関する興味をあげていくこと、そして動きを自分で再現してみて、どこを意識すればそういう動きが出来るかを試すことである。

そういうことを考えれば、学んでいるつもりでも、何も学んでいないということになる。学ぶということは、頭を下げて自分を空っぽにして受け入れるという姿勢が大事である。反論をしたいなら、まず全部受け入れて消化してからのことである。学ぶ姿勢が出来ていないんではないかということを、最近いろんなところで感じている。我々、教えたり指導する側も、学んでいる人たちから逆に学ぶわけであるが、それが最近は出来なくなっている。

私も、いろんなところの学びに足を運ぶことがあるが、その時は自分の先入観は全部取り除き、まず全部いったん受け入れる。そして、これは利用できる、これは利用できないと、後から独りで作業に取り掛かる。いつまでも学ばなければならないが、学ぶ姿勢を忘れての学びはない。

10月5日 矢野

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