教育の部屋

日本人が痩せ細っている

2008 年 9 月 5 日 金曜日

世の中は、メタボ対策だなんだと騒いでいる。それは、身体のことである。日本人も、身体はよく肥るようになったものだ。もともと、日本人は、そんなに肥った人が多くなかったはずなのに。明らかに食べ過ぎているのだろう。
身体のことは、何とか解決策は見つかるだろう。しかし、教育に関わる人間や政治に関わる人間の、心の問題はどうであろう。
信じられないようなことが起こっている。自分だけよければいい、自分だけの私利私欲での行動は、一体どうなっているのか。自分さえよければ、後の人や社会はどうなってもいいのか。
土佐の坂本竜馬は、幕末のまだ士・農・工・商と身分制度がはっきりしていた時代、みんな同じ人間だという態度で誰とも接していた。身分など関係なく、人間として同じということを見につけていた稀有な存在である。私はそんな竜馬が好きだし、そんなところを見習いたいとも思っている。人間として同じと思っていれば、自分だけよければいいなどということはない。
「みんなのために」といえば、綺麗ごとに聞こえるが、自分だけでなくみんな同じ人間だからという気持ちがあれば、それが行動規範になってくる。竜馬の維新回天の偉業をみても、結果的に世のため人のためになっている。自分のためにやっていることが、人のためになったり世の中のためになっているかを確認してみればいい。そうでなければ、迷惑ばかりかけているのかもしれないと思ったほうがいい。
いま大事なことは、やれエリートだ落ちこぼれだといってみたり、勝ち組みや負け組みと差別したりなど下らないことをしないで、人間として同じだという気持ちを持つようにしなければならない。そうすれば、他人への思いやりや優しさが生まれてくるだろう。
同じ人間を蹴落としてまでとか、同じ人間を踏み台にしてとか、同じ人間に迷惑をかけたりということは、してはならない。
私は、平等教育を言っているのではない。みんなに平等になんて、それは不可能なことだと思っている。人間は生きていくなかで、非常に不平等であるし、不平等を受け入れないと始まらない。そうではなく、もっと深層の意識として「人間として同じである」ということに気付かせなければならない。動物的に見て、同じ種である人間を精神的にも立場的にも殺してはいけないということである。
社会やその他の世界を、競争と見るのがよくない。競争は、ルールの下で行うスポーツだけ十分だ。

9月5日 矢野

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