教育の部屋
現場を知らない者が
2009 年 5 月 17 日 日曜日 多くの人が意見を言いやすいし、言いたがるのは、教育とスポーツの分野である。私は、教育にもスポーツにも現場に関わっているので言わしてもらう。
教育でもスポーツでも、現場で動いている人はこれでいいと満足しているのではなく、いつももっと良くするためにはどうすればいいかと試行錯誤している。何もしていないわけではなく、みんな努力している。
そして、そういう中でも難しさというのは、生身の人間の触れ合いであるということである。人間の触れ合いの中で行っていく行為に、こうすればいいなどという安易な方法はない。人間は一人ひとり違うし、ああすればこう反応するという化学方程式のようにはいかない。そんなことを思っているなら、あなたはおめでた過ぎる。教育とかスポーツは、そういう現場である。
それを現場も知らず、遥か遠くから見ると、何とでも言えるが、そういうことを言いたがる人が非常に多い。あなたの教育論やスポーツ論を、独り言で呟くのはいい。しかし、人前では言葉にしたり文章にしてはいけない。教育論とかスポーツ論は、誰でも言いたがるがほとんど空論である。なんせ現場を何も知らないのだから。他人に聞いた話で知っているなんていうのは、ブラックホールを見てきたというくらい無謀なことだ。なぜ、そんなことに気がつかないのだろうか。
何でもかんでも自分の意見を言っていいとか、自分の考えを披露しようというのは、非常に危険である。そんな自由は許してはいけない。現場で汗も流さないで、自分の痛みを伴わない意見など聞くに値しない。そんな無責任が横行しているから、現場はまた混乱する。現場を知らない評論家気取りというのが、私は大嫌いだ。自分も痛みを共有してみろ、自分は安全なところから偉そうの叫んでいるだけではないか。現場に出て、一緒に汗を流してみろ。それが出来なければ、口をつぐめ。
すべての人が注意しなければならないことだが、分かったような気になってはいけない。空想や空論は、独りで楽しめばいい。現場では、多くの仲間が悩みながら迷いながら実際に動いているのである。何もしない、出来ない人間が、偉そうなことを言うのではない。失敗しながらも、実際に現場で実行している人のほうが遥かに尊い。私はそう思う。評論家など、一人も要らない。
現場に口を出したいなら、現場に出てきて一緒にやってみろ。
5月17日 矢野
