教育の部屋

私はケチである

2009 年 10 月 31 日 土曜日

学校で、二十年以上も前に教えた卒業生に会った。久しぶりは、大久しぶりである。近況報告を聞き、音楽を続けていて、学生のときに私に習ったメンタルトレーニングや身体の動かし方をいまだ工夫しているという。そういう話を聞くと、ものすごく嬉しくなる。

私は目の前の学生を、その場で指導してどうこうしてやろうとは思わない。その場で変えることは、非常に衝撃的であり、学生が驚くのが目に見えている。それも指導であるとは思うが、そういう指導は後々身についていき難い。指導現場で解かったと思うと、浮かれて身につけるのを怠りがちになる。それに、簡単に解ってはいけないし、簡単に解ったことはすぐに忘れる。これも面白いものである。

私が授業や講習会で、ナンバのことを取り上げる。非常に食いつきよく、興味を持ってくれる人もいる。けれど、そういう人が、ずっとナンバを掘り下げて理解してくれるかというと、そうでもないことが多い。熱しやすく、冷めやすいだけという人も案外多い。また、簡単に解ったと思ってしまう、おめでたい人も多い。それよりも、いつも目先を変えていないと不安になり、目先を変えることが勉強していることだと大変な勘違いをしている人も多い。まったく困ったものである。

私は、簡単に人を信用しない。それは、無心で人を信用したいけど、多くの裏切りを受けてきたので、自己防衛反応でもある。まして、言葉などはまったく信用していない。人を見るときは、言葉など聞かずに行動だけ見ているほうが間違いが少ない。これも生きていて、身につけたことである。言葉で、どれくらい騙されたことか、思い出すのも嫌になる。

だから、教えてくれと頼まれても、簡単には教えない。まして、その場で簡単に理解できるようなことは、決してしない。だから、人に対して非常に不親切である。答えなんかは、絶対に教えない。せいぜいが、ヒントを並べるだけのことである。その場でなんか、解らなくてもいいという態度で接している。だから、指導効果などはわからない。

しかし、卒業して何年、何十年たって、いまだに続けてやっと解ったといわれると、指導してよかったと思うし、非常に嬉しい。何年後、何十年後に解ってくれという気持ちで指導しているが、まったく反応がないのも淋しいもので、たまにこういう教え子が尋ねてくれるのは嬉しいものである。そして、これからも方針を変えないでやっていこうと、決心が固まる。

答えは教えずヒントだけを与える、その場での成果を求めない。こういう心がけで指導している。振り返ってみると、本当にケチな男だと思う。全然、変える気はないのだがケチである。

10月31日 矢野

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