矢野先生のコラム
おおヒヤイ
2008 年 1 月 27 日 日曜日私は、高知で暮らしてきた年月の二倍くらいの長さを東京で住んでいる。思えば、故郷を出て長くなったものだ。しかし、一向に標準語が身に付かない。というよりも、土佐弁を直そうとしない。どうしても意思疎通で困るときは、言葉だけは通じる言葉に直すが、アクセントは土佐弁であろう。学校での授業などは、かなり気を使って喋らなければならない。
いろんな面で東京に慣れてもいいと思うのだが、これも難しい。この冬のここのところの寒さ。「寒い」と言っても実感が湧かない。やはり土佐弁で「ヒヤイ」と言わないと、この寒さの感覚が湧いてこない。「ヒヤイ」とは、「冷やい」と書くのだろう。文字を見てもらいたい「寒」と「冷」である。私の感覚では、身を刺すようなのは「冷」である。それだけ大げさに表現するのが土佐の習いか。
それとも、南国土佐というくらいだから暑さには平気だが、寒さには弱いのかもしれない。私も、夏は「暑い」とはよく口にするが、比較的平気である。しかし、冬はダメだ。達磨さんになるくらいに着込んで、縮こまっている。朝など、子分のコーギーの散歩に出るときは、これでもかと言うくらい着込んで出て行く。吐く息は白くなるし、霜柱は立っているし、前日の水溜りは凍っているしで、まるで修行しているようである。
しかし、コーギーは元気である。寒さなんか感じないのか、元気良く歩いていく。先日の雪の降った日などは、野生の血が呼び起こされたのか「走ろう、走ろう」と引っ張るのには閉口した。コーギーは、夏の暑さにはぐったりしているのに、冬はいたって元気である。そして、散歩中に路面のいいところを歩けばいいのに、わざわざ雪の積もったところを歩きたがる。これは教えたわけではないので、野生としか思えない。 私は冬眠でもしたいところだが、元気な子分とどう折り合いを付けていくかがこの冬の課題である。
それにしても早く温かくなってもらいたいものである。「春よ来い」という歌が出来たこともよく理解できる。
矢野
