矢野先生のコラム
カーリングは素晴らしい
2010 年 2 月 22 日 月曜日冬季オリンピック真っ盛りである。しかし、冬季の種目は、私には馴染みのないものが多い。自分が体験したことがあるのは、スキーとスケートくらいである。スキーとスケートをやったことがあれば、冬は征服したようなものだと思われる。しかし、体験しただけで、スケートはもう絶対にやらないぞと決意したし、スキーは何とか上から下に降りてこられるくらいのものだ。
だから、テレビで応援していても、イマイチ力が入らないし、時に上の空である。また、新聞で結果を確認するのも、億劫になっている。そんな冬季オリンピック期間であるが、気がつくと一時間以上テレビに釘付けになっていることがある。カーリングを見始めると、何も手につかず、テレビの前から離れることができなくなる。
もう、三試合くらい見たが、ルールはまったく分からない。スポーツをやるなら、最初にルールを覚えなければならないと言っているのに。変わりばんこに投げてるな、けどどこで終わるのかな程度である。そして、最後に円の中心近くに残ればいいだろうとは予想するが、どのあたりが終盤かが分からない。やはり、ルールを覚えるべきかとも思うが、今からではルールを覚えた頃にはオリンピックは終わってしまう。オリンピックが終われば、カーリングという競技を見ることはないだろうと思う。
それに、いま日本が有利なのか不利なのかも分からない。戦術はあるだろうが、どうすれば有利になるのかがまったく分からない。だから、解説者がナイスショットと言っても、どこがという感じだ。まして、もう少し右とか左とか言っても、何を言っているのだと音声を消してしまう。
ルールも戦術も分からないでスポーツ中継を見ていること自体が不思議だ。まったく何も理解できないで、一時間以上テレビ観戦していることになる。いよいよ頭がボケ始めたかと心配になる。しかし、自分を冷静に観察してみると、ボケるどころか非常に真剣に見ている。何かを学ぼうとしている姿勢によく似ている。
しかし、ルールも戦術も分からないスポーツから何を学ぶのか。それは、テレビからでも伝わってくる目の力であることに気がついた。どこの国の選手であろうと、ストーンを投げるときのあの真剣な目が素晴らしい。そして、自分が投げていないときでも、真剣にブラッシングを行っている。ゲームのどこを切り取っても、真剣さしかない。苦笑いも、照れ笑いもなく、派手なガッツポーズや落胆の表情もない、真剣に淡々と進んでいくゲームに、スポーツの本質を見た。スポーツとは、こうあってほしいという見本のようなものだ。
カーリングは、本当に素晴らしい。しかし、まったく分からないし、分かる必要もないか。
2月22日 矢野
