矢野先生のコラム
シーラカンス
2008 年 3 月 5 日 水曜日まだ子どもの頃、マダガスカル島といえばシーラカンスと連動していた。
生きた化石といわれるシーラカンスが、死んだ状態とはいえマダガスカル沖で網にかかったときは、それは驚いた。いや3億8千年前から地球上に生息しているというシーラカンスが死んだ状態とはいえ我々の前に現れたということは、これはロマン以外の何物でもない。ひょっとしたら、まだ生きて泳いでいるかもという期待を持たせるに十分である。
それが先日テレビ欄を見ていると、なんと生きたシーラカンスの撮影に成功とあるではないか。これを見ずに、どんな番組を見るというのかという昂奮した状態でテレビの前に座っていた。
番組が始まると、シーラカンスが現れた。深海の岩場で、逆立ちしたような姿で登場した。それは、生きていくための省エネと姿をくらますためであるという。まるで忍者のように、3億年以上にもわたって絶えることなく生き残ってきている。この不思議を見たときは、感動などという言葉では表せない、すごさを感じた。
シーラカンスは、六枚の肉起と呼ばれる鰭のようなものがある。その六枚の鰭をばらばらに動かして、静止し、また動いていた。その動きは優雅なものである。生きた化石が、画面の中とはいえ泳いでいるのである。それも一匹二匹ではなく、多くのシーラカンスが泳いでいた。願わくば、人間が入ったために、絶滅とか言うことだけは避けてほしい。
しかし、現地のコモロ諸島では、問題もあるようだ。世界中から調査のために多くの人が集まりシーラカンス一辺倒になるため、地元の漁師たちが漁にならないということである。何かが見つかったりすれば、それまで静かだったところもたちまち観光化したり、多くの人が集まる。迷惑をこうむるのは、地元の人々だ。映像を待って、見て済ませるだけでも幸せと思わなければならない。どうも現地のことを考えない行動には、困ったものだ。
私は、忍者のようにひそかに暮らしているシーラカンスを見ただけで満足である。そして、シーラカンスには、これからも進化を忘れて、そのままで生き続けてもらいたい。
矢野
