矢野先生のコラム

北京 陸上100m決勝を見て

2008 年 8 月 18 日 月曜日

一日本人として、オリンピック100mの決勝レースを見れば、これは人類の素晴らしい力を見せてもらった。100mが9秒6台に入るのを確認できたのは、歴史の場面に居合わせたことに喜びを感じる。
人類の潜在能力はどれくらいあるのか、簡単に限界を設けるわけにはいかない。また、記録の予想など、何の役にも立たない。陸上競技の記録は無限だとは思わないが、それ以前に人間の力に驚かされる。
我々一般人も、自分の持っている潜在能力をもっともっと発揮するようにしなければならない。自分で限界など決めず、決して諦めず妥協せず自分の能力の開発に努めなければならない。

陸上競技の専門家としては、絶望感も感じる。オリンピックの100m決勝で、他の7人はゴールまで当然のこと全力疾走である。そんな中、ボルトは最後の20m以上を力を抜き流して9秒69である。
失礼といえば、失礼な走り方である。しかし、あの圧倒的な強さの前には、ただ敬服するしかない。  100m決勝に残った他の7人とは、ボルトは違う世界にいる。そして、アメリカの短距離陣が、こんなに弱く見えたのも始めてである。スポーツに関わっている人間として、これを素質という一言で片付けたくはない。素質で片付けるのは、いつも負け犬の遠吠えである。
スポーツは、それぞれがトレーニングを行い、自分の能力を伸ばして、ルールのものに戦い勝敗を決する。素質といって片付ければ、トレーニングの意味も平等のルールの下に闘うということもなくなる。
それにしてもボルトの出現は、鼻歌交じりで9秒6台というのには、開いた口がふさがらない。100mの日本記録とは、0.3秒以上の開きがある。果たして日本人が、このまま100mに挑戦していって闘えるのか。いや、世界中の100m走者が、闘える可能性があるのか、考えれば絶望的になってくる。せめてボルトが、ゴールラインまで全力疾走してくれていれば、ここまで絶望しないのに。
世界中で100mを10秒を切って走っているのは黒人だけで、日本人がこれからどういうアプローチをすればいいか、真っ暗闇で一筋の手がかりさえ見えない。しかし、絶望ばかりしていても始まらない。
これはナンバ(難場)である。だから諦めないで、ナンバ式で創意工夫して切り抜けていくしかない。何かヒントとなるようなことを、提案できればと思う。
まだ、ボルトは専門の200mとリレーが残っているので、目が離せない存在である。

8月18日 矢野

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