矢野先生のコラム

大いなる偏見

2009 年 5 月 20 日 水曜日

私は、高校を卒業するまでは土佐の高知で育った。土佐の高知といえば、陸の孤島、今でも鬼が住んでいるのではないかと思われているくらい偏狭なところである。そんな土佐の高知で、古代人のような人々に囲まれて育つと、偏見というか無知による思い違いが数多くあることに気がついた。それを少し紹介してみよう。
縄跳びというものは、男がするものではなく女の遊びだと思っていた。だから縄跳びはやったことがないし、今さらやろうとは思うわけがない。縄跳びを見ると、なにか女々しくていけない。
鉄棒というのも、グランドの隅のほうにひっそりとあり、女の遊具だと思っていた。その頃は、まさか体操競技などというものがあろうとはつゆ知らず、スカートをはいた女の子がぶら下がるものだと思っていた。
世界中の人が土佐弁を喋っていると思っていたが、四国山脈を越えると言葉に不自由をした。東京に出てきてビックリしたのは、テレビと同じような言葉で話していることである。ああいう言葉は、テレビの中だけで使われているものだと思っていた。それを小学校に入る前の子どもでも、平気で喋っているのには驚いた。
スパゲッティーは、ナポリタンとミートソースしかないと思っていた。そしたら、カルボとかペペロンとかとても覚えられないくらい多くの種類のスパゲッティーがあることに目を丸くした。それだけならいいが、なんとピザまであるということには、これでもパンかと迷いが増えた。今では、平気でビールを飲みながら、ソーセージまで加えて楽しんでいる。ソーセージといえば、魚肉ソーセージしか知らなかったくせに、偉そうにソーセージ盛り合わせと注文している自分がいる。
先生という職業は、人間的に立派な人がやるものだと思っていた。先生になるのに、教員採用試験があるということを聞いて非常に落胆した。試験で人間が分かるか、という気持ちは未だにある。教員採用試験を受けないで先生になる方法を探して、いまも先生をやっている。私は別に立派でもなく、ただの酔いどれ先生であるが。
東京では、雪が降っても休みにならないことも学んだ。また、夜になると雨も降ってないのに、雨戸を閉めている家を見ても不思議に思わなくなった。それに、何よりも大胆になったのは、繁華街に出て行っても誰も知り合いはいないし、誰も私のことなんか注目もしていないし、石ころくらいの存在でもないということを自覚してきたことである。
東京では、突然の雨に傘を差しかけてくれる人なんか皆無だと覚悟していなければならない。
こうして、私の驚きの日々は続いている。

5月20日 矢野

サイト検索

カスタム検索

活動履歴

関連図書&DVD購入