矢野先生のコラム

心臓検査に行って

2009 年 7 月 1 日 水曜日

一応、七月に狭心症の手術をするために入院するということになっているので、検査にいってきた。
尿検査、血液検査、心電図検査を行った。しばらく待って、診察室で主治医の先生の話を聞く。三月に検査入院のときにとった、心臓カテーテル検査のVRを見ながら「心臓のここの血管が狭くなっている」と指摘される。そう言われてみると、血管が狭くなっているようにも見える。心臓のある部分の血管が狭くなっているので、血流が悪くなっているようだ。
そして、尿検査と血液検査の結果を見ながら「ここ血管が元通りに広くなれば、ぐんと調子がよくなりますよ」と言われた。今より、ぐんと調子がよくなると言われても、今もそんなに調子が悪いわけではない。まして、普通の人よりは、元気があるほうだと思う。これ以上調子がよくなればどうなるのだろうと、少し空を見てみる。
そして、冷静に振り返ってみた。そうか、心臓の血管が狭くなり血流が悪いのか。だったら、脳にも少し血が足りないのかも知れない。そうなると、正常な人ほどは、自分の脳は働いていない。脳が働いていないとなれば、感じることも考えることもおかしいに違いない。だとすると、少し納得がいってきた。
自分では正常だと思っている、これは普通の人でもよくあることだ。しかし、脳への血流量が足りないとなると、自分は少し狂っているのかもしれない。だから、普通に調子がいいと思っているのだろう。少し狂っている頭で考えて調子がいいんだから、正確には調子が悪いのかもしれない。なにか混乱した世界に落ち込んでいきそうな危険がある。
そう考えると、狂っている自分が野に放たれてやってきた今日までは、一体どうなるのだろう。全く何の狂っているという自覚もなく、正々堂々と生きてきたのに、それが狂っていたなんて。これは、罪としか言いようがない。しかし、ここで世間様に謝ろうにも、いつから狂っているかも分からないし、狂ったままでは謝りようもない。
それなら、手術後はぐんと調子がよくなりますよという言葉を信じるしかない。それを信じると気が楽になる。手術後は、脳が正常に戻るので、懺悔のつもりで生きていけばいいわけだ。今の段階では、脳が正常に戻るということも、想像も出来ないのだが。それでも、自分が正常になるという楽しみはある。正常のなるというと、なんとなくワクワクするではないか。
手術前後では、人格まで変わっているかもしれない。そうなると、手術後は、誰も私のことがわからない、新しい人間として生き始めるかもしれない。手術後の私は、別人かもしれない。そんなことを考えていると、顔がニヤついてくる。やっぱり私は、狂っている。

7月1日 矢野

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