矢野先生のコラム

情報に依存していないか

2010 年 3 月 24 日 水曜日

私は普段の生活でも、情報にはそんなに敏感ではない。新聞は取っているが、隅から隅まで丹念に読むほうではない。まず、見出しというか表題をざっと見回す。そして、自分のアンテナを震わすような記事だけを読み始める。自分のアンテナが何の反応も示さない記事は、無視するようにしている。私のアンテナが反応するかどうかは、私の興味の問題であるが、読んで気持ちが暗くなるような記事はまず読まないようにしている。そういうアンテナで新聞の記事を見ていくと、読みたいと思うものは意外と少ない。だから、新聞を読むのに、そんなに時間をとられることはない。自分が読んでいない記事が話題になれば、新鮮な気持ちで聞いていればいいだけである。

そんなだから、テレビのニュースにも熱心ではない。ニュースにしても、分けてみれば暗い不幸や事故災害が主である。そんなものを見ても、元気になるわけがないので熱心には見ない。もっと明るくなる、思わず微笑ましいなというニュースがあれば、テレビも見ようというものである。

こんなだから、インターネットで何が起きているか世の中の出来事に関心があるということもない。そんな情報を知ったところで、どうしようもない。人によると、速く情報を知ることに意義を見出している。それがどうしたといいたいが、よく分からない。また、周りの人が知っている情報を自分が知らないと、劣等感というか気後れをする人もいるらしい。これもよく分からない。回りを気にして生きているのだろうか。

情報なんて、自分が必要と思うものだけが大事なことで、その他の情報は邪魔にこそなれ、まったく要らないものである。そういう情報の選択がうまくできていないと、情報に振り回され、自分自身を見失っていく。人によって、必要な情報は違うはずであるし、そんなに情報が必要とも思わない。

私は、中学生のときから一年に何度も合宿というものに出かける。スポーツに合宿はつき物で、春休み・夏休み・冬休みには恒例行事のように行われる。そして、いまだに合宿に明け暮れている。三月の初めにはグァムに陸上の合宿に行ってきたし、三月末からは千葉の白子でバスケットの合宿である。

私は合宿に行くと、基本的に新聞も読まないしテレビも見ない。パソコンは持っていくが、メールか原稿を書くくらいで、インターネットはやらない。世間でいわれている情報からまったく隔離された生活を、一週間前後送る。しかし、情報から離れていたからといって、困ったことは何もない。合宿が終わって、世の中がまったく変わっていたこともない。世間の話題なんてたいしたことはなく、話題についていけないくらいでちょうどいいと思ってしまう。それだけ、どうでもいい情報が氾濫している。情報に操られないように、情報を操るようにしないと。

3月24日 矢野

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