音楽の部屋

加藤和彦がいなくなった

2009 年 10 月 18 日 日曜日

音楽を聴いて、一番の衝撃は高校時代の「帰って来たヨッパライ」をおいて他にない。フォーククルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」を聴いたときは、何じゃこれはという全くわけの分からないものに出会った反応であった。私は結構この「何じゃこれは」というのが好きで、後にスペインで出会ったピカソ・ガウディー・ダリ・ミロなど、何じゃこれはという出会いを楽しんでいるし、その芸術が好きである。

最初に何じゃこれはという出会いの「帰って来たヨッパライ」。それから、五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読みよしと思い、フォークルはその題の通りの「青年は荒野をめざす」を歌にした。そして、名曲「イムジン河」「あの素晴らしい愛をもう一度」と、我々世代を楽しませてくれた。

加藤和彦は北山修と組み、日本のレノン&マッカートニーのような音楽界での存在であった。我々フォーク世代は、反戦系や生活系が好きな者たちもいたが、フォーククルセイダースや拓郎のような歌がすきというグループもいる。

私は、フォーククルセイダースの美しさやみんなで歌える応援歌のようなものも大好きである。加藤和彦の音楽的才能は多彩で、日本の音楽シーンに数々の名曲を残し、これからも歌い継がれていくことだろう。

今も、数多くの歌が生まれては消えていっている。本当に歌い継がれていく名曲というものは、それは数少ない。一瞬、流行る歌はいくらでもある。しかし、名曲というものは、歌詞がよく、メロディーがよくなければならない。そして何より、人々の心を打つようでなければならない。その歌を聴いただけで、ある場面が浮かんできたり、元気がわいてきたり、少し自分を省みたりするようでなければならない。

加藤和彦という一つの才能を失うことは、我々世代においては非常に悲しいことである。青春という時代があるのなら、その青春を少しは輝かせてくれたし、共通体験をさせてくれた。これからもう少し生きて、ちょっと歳をとった我々にもう一つの応援歌を聞かせてくれてもよかったのではと思う。それが出来ないのなら、昔の名曲を聴いて、これからの生きていく励ましにしなければならないじゃないか。

人の命はいつ絶えるかもしれないが、あまりに唐突で驚いているが、これも加藤和彦からのメッセージかもしれない。我々は、これからどの歌を聴き、そしてどの歌を口ずさみながら生きていくか、考えろということかもしれない。とりあえず、昔のフォーククルセイダースの歌でも聴くことにしよう。涙を流さないように。

10月18日 矢野

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