音楽の部屋

日本の演奏家に欠けているもの

2009 年 7 月 20 日 月曜日

クラシック音楽の世界では、日本の演奏家がクラシックを演奏する上で精神的に何かが足りないとはよく聞くことだ。ヨーロッパ生まれで世界に広がっているサッカーをプレーしている日本選手が、プレーする上で精神的に何かが足りないといわれることはない。スポーツをプレーする上で、日本選手に欠けている精神性として一般論として指摘されるものは少ない。個人個人についてはあるが、それは日本人に限ったことではない。
クラシック音楽は、確かに西欧で生まれた音楽である。そして、世界中に広まっていった。そのときに曲と演奏、音楽に関わることのみを取り上げなければならない。そこに神まで持ち出してくると、話がややこしくなる。西欧人が日本の演奏家に対して言いたいのは、あなたから神が感じられないということである。
西欧では、キリスト教一神教で、神にためにという思いというか、ほぼ執念だろうと言ってもいいほどの思い込みがある。全てのことは、神の偉大さを称え、神に捧げるためにあるという思いである。
科学者でさえも、キリスト教の神という概念を常に持っていた。ガリレオにしてもニュートンにしても、自分たちが宇宙のことを研究するのは、神に対しての冒涜ではなく、神がいかに偉大かということを証明するためであったという。
音楽においても、音楽は神への捧げものであり、その音楽を演奏するには演奏者の心にキリストが居なければならないという考え方である。そういう目で日本人演奏家を見れば、確かにキリストが胸に宿る日本人演奏家は少ない。そして、何もキリスト教に宗派変えをしなければ、クラシック音楽は演奏できないということでもない。西欧人には、キリスト教しか理解できないし、そのキリスト教に関して戦争までしている。
日本人演奏家よ、日本人は自然教だと胸を張れ。日本人は昔から、山や海、木や岩など自然を神として崇めてきた。また、台所にも神がいるし、風呂場にも便所にも神がいる。日本人は、信仰心が薄いといわれるが、本当だろうか。日本人はいたるところに神を感じ、自然と一体になって暮らしてきた。
日本人演奏家よ、自然を崇め自然と共に暮らしていれば、それは神と共にいることだ。何も恥ずかしくないし、胸を張れ。自然の神を持って演奏すれば、それが理解できない輩が悪い。キリストだけが神ではない、日本人は八百万の神である。クラシック音楽が世界の音楽なら、それも理解できない人間のいうことなんかに惑わされると個はない。
日本人演奏家よ迷うことなく、自信を持って演奏してくれ。あなたの音楽にはしっかりと芯が通っている、日本人という。日本人であることに、誇りを持っていこう。

7月20日 矢野

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