音楽の部屋

歌詞が非常に弱いのよ

2008 年 11 月 17 日 月曜日

最近、ブログだのメールをやっている人が多い。それはいいのだが、堂々と文章を書けますと言う。たいした自信だと思う。誰でも、言葉を連ねれば文章になるというものではない。自分では分かっているつもりかもしれないが、とても読めたものではないし意味も分からない。簡単に文章が書けると思ってもらっては困る。
それと同じように、詩が書けますともよく聞く。そんなに簡単に詩が書けるものかなと思う。自信があるのか、怖いもの知らずなのか、言葉を馬鹿にしているのか、まったくわけが分からない。
本も読まない、自分での体験も少ない者が、言葉を操れるわけがないし、そんな言葉は誰の胸にも響かない。言葉というものは、自分で体験し、それが叫びや呻きとなり、だんだん言葉という形を整えていく。そういうことのない言葉は、単に軽く流れているだけで上滑りをしている。

私は、世界的にはビートルズ世代であり、日本では吉田拓郎や中島みゆきの歌を聴いてきた世代である。それらの歌の歌詞は、確実に胸に響いてきた。だから、いまだに車を運転しながら聴いている。言葉が胸に響き、それに刺激されて考えが広がっていく。単なる言葉ではなく、考えるきっかけとなる起爆剤のような作用をする。そういう歌だけが、残っていくのではないだろうか。
ラジオから流れてくる最近の歌は、胸で立ち止まりもしないで消えていく。歌詞が非常に弱い。自分の歌を自分でつくるのはいいが、もう少し言葉を知らなければどうしようもない。言葉が貧弱なうえに、そんな言葉を連ねても何にもならない。なぜ、作詞は人に頼まないのかと不思議で仕様がない。自分の言葉で歌いたいといっても、自分の言葉があまりに粗末である。
私は、拓郎やみゆきの歌が好きである。そして、歌を聴くときの自分の状態によって、聴こえ方が違ってくる。だから、飽きるなどということはない。ずっと聴き続けて今日まで来ている。
幼稚園生の絵とピカソの絵が明らかに違うように、同じ言葉を並べても薄っぺらなものと心に響くものはまったく違う。もう少し言葉を大事にしてもらいたいと思う。そして、その自意識過剰と自信過剰はどこから来るのか私には分からない。言葉の前に謙虚になるように。

11月17日 矢野

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