音楽の部屋

演奏家の卵たち

2007 年 3 月 22 日 木曜日

先日、この春大学を卒業した有志たちによる演奏会を聴きにいった。

一生懸命に演奏していることは、十分に伝わってきた。しかし、まだまだ音楽が軽いというか薄さを感じる。彼らは、音楽専門大学で演奏を学んできた。それ以前から考えると、10年以上は演奏の勉強をしていることになる。

しかし、演奏の勉強の大半は、どう表現するかというテクニックであろう。まだテクニックを勉強しているかというと、学生であったから仕方がないとも思う。表現する「何か」が、積み重なっていないのである。だから、テクニックに頼った音楽を聴いても、そこから重さや厚さは感じられない。ここが音楽の難しいところであろう。

表現する「何か」とは、人生で経験したことから学んだことであったり感じたことであろう。彼らは、これから先そういうことを積極的に体験していかなければならない。そうして表現する「何か」を膨らましていったとき、初めて身につけているテクニックが生きてくる。表現する「何か」を膨らますことと、どう表現するかというテクニックのバランスをとることが大事であろう。

まだ十代の天才少年や少女の演奏を聴いても、何も心に響いてこない。それはテクニックだけで、表現したい「何も」持っていないから。音楽の演奏というのは、30歳を過ぎてからやっと聴かせられるものになるのではないだろうか。芸術というのは、表現したい「何か」が一番大事だろうと思う。それは、幼稚園児が書く画とピカソの作品の違いのように。

私は、卒業生たちをいつも応援している。彼らがどんな人生を送り、それを自分の音楽としてどう表現できるのかということを見守っている。まだ演奏家の卵であるが、いつか殻を破り自分なりの演奏家になることを期待している。

矢野

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