音楽の部屋

空間を変える

2009 年 2 月 9 日 月曜日

私は、スポーツの動きを見たら、いいか悪いかはすぐにわかる。動きの専門家だから。本を読めば、文章が上手いかどうかもすぐにわかる。本を読み込んでいるから。音楽に関しては、少々自信がなかった。
しかし、たまたま金曜日に演奏会に出かけ、日曜日にサントリーホールで仲道郁代のピアノリサイタルを聴いた。音に明らかに違いがある。普段、この違いに気づくことが感性であると言っているので、自分自身でも試してみた。どこが違うかというと、音の厚さや深みが違う。それより何より、音の流れが違う。動きにしても文章にしても、いいものは自然の流れを持っている。何においても、自然な流れというものが大事ではないかと思う。
誰がピアノを弾いても、自然な流れが創れるものではないということがわかった。短期間で聴き比べる機会があったからだ。仲道のピアノは、指が鍵盤を叩いているというよりも、鍵盤の上で多くにピンポン球が跳ね回っているという感じだ。指が鍵盤を叩けば、まだ不自然さが残る。鍵盤の上で、ピンポン球が勝手に踊りまわれば自然な流れが出来る。

私は、クラシック音楽のライバルは自然の音だと思っていた。だから、クラシック音楽は、自然の音には勝てまいとしていた。しかし、仲道のピアノを聴いて、考えを改めた。ピアノの音で自然な流れを創れば、自然の音にも負けないのではないかと思った。仲道はそういう作業を行なっているのかと、改めて感じ入った。
ピアノで自然な流れを作るということは、空間をピアニストのものにするということである。そう思えば、あの広いサントリーホールが、仲道のピアノによって仲道ワールドになっていた。多くの聴衆は、仲道によって違う世界に連れて行かれたということである。それだけのことが出来るのが、ピアノを自然な流れにすることが出来たということである。仲道の偉大さに気づかされた。

多くの聴衆に愛され応援されている仲道は、それだけの期待に応えるべくもっと自然な流れのピアノを追及するだろう。なんせ、高校生のときから、仲道は非常な努力家であったから。私も陰ながら仲道を応援し続けていくつもりである。
クラシック音楽が分からないと言ってはいけない。音楽は、分かるものでなく感じるものだから。クラシック音楽がつまらないという人は、心が疲れすぎている。

2月9日 矢野

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