陸上部
全盲の三段跳び競技者を指導して
2007 年 5 月 23 日 水曜日全盲の三段跳び競技者である白井崇陽の指導と今後の課題
~2006年身体障害者陸上競技世界選手権大会に参加して~
桐朋学園大学 矢野龍彦
1 はじめに
我々は、五体満足をごく当たり前に受け止めている。まずは五体満足という前提に立って、陸上競技が成立している。少し前までは、私にとっても陸上競技とは、そういう世界であった。
しかし、白井崇陽と出会って、今まで知らなかった新しい世界と触れ合っている。全盲という視覚障害を抱えながら陸上競技の三段跳びで世界に挑戦しようというのである。私は白井と出会うまでは、身体障害者の競技の世界はテレビで少し観たくらいで興味もなければ、自分がそんな競技に関わるとも思ってもいなかった。
私は中学時代に陸上競技に足を踏み入れて、大学院で陸上競技を中心としたコーチ学を学んできた。しかし、それは全て健常者に対する陸上競技であった。当然、私が学んできた陸上競技が基になるのだが、全盲の競技者を指導するのは、ほぼ白紙状態といってもいい。
2 世界選手権大会に参加して
2006年の夏、オランダのアッセンで行われた身体障害者陸上競技の世界選手権に参加して、世界のレベルと闘ってきた。視覚障害を持っていても世界は、ホップ・ステップ・ジャンプときちんと三段跳びになっていた。これは当然のことと思われるかもしれないが、白井は日本ではホップ・ステップまでの跳躍動作や跳躍距離で勝てているのである。ジャンプまでは、まだ意識して練習をしていなかった。
しかし、世界で闘うためには、ジャンプまできちんとできるようにならなければならないと強く実感した。そんな中、世界選手権の成績は10m80で7位であった。今までの自己記録が11m56であることからみれば、少々物足りないが諸条件を考えるとまずまずの出来かと思う。
3 練習に関して
白井との練習は、常に私が立会い指導しなければならない。練習環境というのは、目が見えている我々には危険は比較的少ないように思われる。しかし、目が不自由なものにとっては、そこら中危険だらけである。目を閉じて少し動いてもらえば解るが、全てが不安となり危険を感じるはずだ。
グラウンドの凸凹や練習している人間など全てが危険なものであることを、解ってもらえると思う。だから練習では、何をおいても安全性を重視しなければならない。そういう理由で、独りで練習をさせることは出来ない。「このメニューをやっておけ」ということは、通用しない。練習は最初から最後までいつも二人三脚である。
また、白井は桐朋学園のバイオリン科を卒業したバイオリニストでもある。全盲でありながら、バイオリンと三段跳びという文武一道を目指している。こういう競技者は、白井をおいて世界に誰もいない。そこで、三段跳びの練習にしてもバイオリンとのバランスを考えなければならない。バイオリンの練習というのは、一日5時間以上行うことも珍しくはない。それに演奏会のスケジュールも入ってくる。
そうなると三段跳びの練習は、多くても週に三日くらいになってしまう。そして、時間的にも一回の練習は長くても1時間半くらいのものである。練習内容は、競技会で必要なものは何かと考え、競技会に必要と思われることのみを練習する。
三段跳びでいえば、助走して三回踏み切っていかに遠くに跳ぶかということのために必要と思われることを練習する。何でもかんでも身体の各部分を鍛えるということはしない。だから、走る練習と助走つきのバウンディングが中心となる。要は、今もっている力を、いかにして全部出し切るかということを中心に考えている。闇雲に力を付けることは、今は考えていない。
4 技術に関して
我々は、真っ直ぐに歩いたり走ったりすることを当たり前と思っている。しかし、真っ直ぐに歩いたり走ったりということは、多分に目が見えているから視覚によって自分で調整していることに気がついていない。目を閉じて歩いてみればわかるが、そんなに簡単に真っ直ぐに歩けるものではない。
また、目を閉じて歩けば、手を振って身体を捻ってなんか怖くて歩けない。身体の捻りが入ってくると、曲がってしまう原因になる。曲がるということは、エネルギーが直進することのみに使われず、無駄な労力を使っていることになる。
そこでナンバである。ナンバ歩きは、右手右脚を同時にとか一軸とか二軸とかいわれているが、そんなことではないと思う。単に右手と右脚を同時に出せばギクシャクとは歩くことは出来ても、走ることは出来ない。走りにつながらない歩きは、やはりどこかで間違っていると思う。
また、軸を意識すると滑らかな動きが出来ない。それに、軸は動きの中で流動的に変化するものであって、そんな軸を意識すると運動がぎこちなくなる。軸は結果的に測定できるものであって、動きの中で意識するものではないと思っている。
ナンバ走りは、全身を連動させて動かし、身体の捻りやうねり、踏ん張りを出来るだけ抑えようとするものである。具体的には、上半身と下半身を出来るだけ捻らないで動かす。また、身体のアオリを使わない。そして、地面を蹴る意識ではなく、後ろ脚を素早く前に運ぶようにする。そうすることによって、スピードを落とすことなく曲がりを最小限にとどめるようにしている。
最も重視しているのは、全身を連動させて動かすということである。身体の局部を意識して、局部で力を出そうとするのではなく、全身を協調・連動させて相乗効果で力を出そうと考えている。そのために武術などの動きからヒントを探し、それを補助運動として行っている。
また、ナンバ走りでは、運動実感を出来るだけ消していくようにしている。いかにも走ってます、跳んでますと意識するのではなく、自然な動きに近づけていく。競技者自身も努力感を感じないように滑らかに動くし、見ている人にも頑張っているなと感じさせないようにする。
陸上競技のスーパースターであったカール・ルイスのような動きを目指している。練習の中では、動きを意識させたり、無意識で動かせたりということを繰り返し、最終的には身体が動きたいように動くことを目指している。
しかし、何が指導上で難しいといっても、視覚情報で動きを伝えられないということである。動きを指導するのに、動きの見本が見せられないのである。ビデオも本もこう動くというお手本も、何の役にも立たない。
ほとんどの動きを、言葉によって説明し伝えるしかない。白井自身も、自分がどのように走っているのか、跳んでいるのか見たことがないのである。そういう現場で、動きを指導していくことは非常に難しい。
「こういう感じ」ということを、リズムで伝えたり身体に手をかけて伝えるしかない。そして、私が動きを観察して「今のはいい動きだった」ということと、白井自身が気持ちよく走れた・跳べたということとの一致を確認しながら技術を上げていっている。
指導現場では、指導者と競技者との運動を共感をするということは、非常に大事なことだと思う。だから、理想的な動きがあって、それに近づけていくのではなく、手探りで動きを創り上げていく作業である。
5 成長過程
2002年度結果
この年は三試合に出場して、最高記録は11m43であった。
この年は、白井にとって陸上競技と正式に取り組み、三段跳びを正式に始めた年である。だから、陸上競技の基本である走る練習を主として行った。最初の頃は、ウィンドスプリントを5本走るのでも疲れていた。
まず、基本的な走力の要請を目指した。そして、ランニングからジャンプへという動きを覚えるために、助走つきのバウンディングを主とした。真っ直ぐに走ってきて踏み切れるように、助走も9歩からはじめ13歩まで伸ばしてきた。
視覚障害者の三段跳びの踏み切りは、横幅は健常者と同じであるが前後幅は1mである。そして、健常者では考えられないが、助走板を横に踏み外すファールが多いこともわかった。目が見えない状態で助走してきて、この踏み切り板の中で踏み切るのも並大抵のことではない。
一度助走を始めると、踏み切り板の横に立っている私の叩くカスタネットの音のみを目指して走ってきて、踏み切ってホップ・ステップ・ジャンプと跳ばなければならない。
2003年度結果
この年は、三試合に出場して、最高記録は11m87であった。
身体障害者の競技会は年に、九州パラリンピック陸上競技大会・関東身体障害者陸上競技選手権大会・日本身体障害者陸上競技選手権大会・ジャパンパラリンピック陸上競技大会の四大会しかない。当然、記録会などというものもない。
この四大会を目指し、競技者のコンディションを万全にし、当日の天候などの条件が整うことは稀である。その中で記録を伸ばしているというのも、あるがままを受け入れて行うスポーツだと理解しなければならない。
三段跳びにおいて、ホップを跳びすぎてステップが極端に距離が出ずにジャンプに移っている。このホップ・ステップ・ジャンプの割合を、より効率の良いものに変えていかなければならないと試みた。それには、助走からホップの移るところから上体が前に突っ込んでいくことを矯正し、上体を立てたままでホップ・ステップ・ジャンプと続けられるようにしなければならないと思って指導した。
2004年度結果
視覚障害の程度の検査をした結果、最も障害の重いクラスと判定され本年度よりアイマスクを付けて公平な条件で競技を行うことになった。
昨年までは、ものは見えないといってもアイマスクもせず光は感じながら競技が出来た。健常者では違いがわかりにくいが、光を感じながらと全くの闇の世界とでは恐怖感が全然違うということである。
視覚障害者の三段跳びの世界記録をみても、光を感じながら行うクラス(F12)は15m30であるが、アイマスクをして行うクラス(F11)では13m47と2m近くも記録が悪くなる。それだけ三段跳びという競技が、闇の中では難しくなるものと理解している。
この年は二試合に出場し、最高記録は11m56であった。
アテネパラリンピック大会の年であって、出場を目指したが参加標準B記録は突破したが、参加標準A記録に24cm届かず参加はならなかった。非常に残念ではあったが、次の北京パラリンピック大会を狙うということで気持ちの切り替えをした。
2005年度結果
この年は二試合に出場して、最高記録は11m50であった。
しかし、この記録で2006年にオランダのアッセンで行われる身体障害者陸上競技世界選手権大会に選手として選ばれた。
白井も大学四年生になり、教育実習や卒業のため単位を揃えること、卒業試験に向けてのバイオリンの練習などで、三段跳びは小休止状態の年であった。
2006年度結果
この年は三試合に出場して、最高記録は11m51であった。
身体障害者陸上競技世界選手権大会にも出場し世界のレベルを確認して、世界で闘うための自分たちでやらなければならない課題を見つけ、その解決に向けてのスタートの年となった。
6 今後の課題
目の見えない状態で、地面が何処にあるかも解らないで踏み切ったり着地することは、我々の想像の域をはるかに超えている。しかし、身体障害者陸上競技世界選手権大会で外国の選手が、短助走で技術練習しているのを見て、それをヒントに持ち帰り今は短助走の練習を多く取り入れている。世界に出てみて、世界と闘うために足りないものや自分たちの課題がはっきりしたことは、大いなる収穫であった。
そして、視覚障害の三段跳びの世界のトップレベルの競技者は、走り幅跳びも兼ねていることに気がつき、今年から走り幅跳びにも挑戦することにした。そして、走り幅跳びの練習を行うと、三段跳びのジャンプの感覚養成にもなることに気付き大いに収穫を得ている。
2007年には、ブラジルで視覚障害者の陸上競技世界選手権大会が行われる。前回見つけた課題を解決して、前回7位だった順位を一つでも上げられるよう準備をしているところである。そして、目標は北京でのパラリンピック大会であるし、また、その次のロンドンでのパラリンピック大会も目指したいと思っている。
白井崇陽プロフィール
1984年1月23日生まれ
身長 178cm 体重 60kg
三歳のときハシカによる高熱で視力を失う
失明して四歳からバイオリンを始める
高校2年生の時、身体障害者の国体「立三段」で8mの日本新記録で優勝
桐朋学園大学弦楽科バイオリン専攻卒業
参考資料
矢野龍彦 「ナンバの心身対話術」MCプレス 2007
矢野龍彦他「ナンバ式快心術」角川ワンテーマ新書 2005
矢野龍彦他「ナンバの身体論」光文社新書 2004
矢野龍彦他「ナンバ式骨体操」光文社 2004
