陸上部

散々な日

2007 年 7 月 4 日 水曜日

7月1日、関東身体障害者陸上競技選手権の日に、白井と北府中の駅前で10時30分に待ち合わせをして競技場に行くことにしていた。待ち合わせ時間になっても、待てど暮らせど白井は到着しない。11時ごろになって、白井から公衆電話による連絡が入る。後30分くらいで到着するとの事。一体どうなっているのかと、イライラしながら待っていると、1時間遅れで白井到着。

話を聞いてみると、白井の実家近くから乗ったバスが、二本くらい前に出たバスが玉突き衝突に会い事故のため大渋滞に巻き込まれたとのこと。その上、私に連絡をとろうにも、携帯を実家に忘れてきたという。道路事情による遅れなら仕方がないが、競技時間は迫っているし、車の中で着替えさせながら競技場に向かった。この場で出来ることは、着替えくらいは車の中で済ませておくこと。そして、速やかに競技場に向かうことである。バタバタしても始まらない。

競技場に着いたのは、最終召集まで1時間を切っている。受付を済ませゼッケンをもらい、ユニフォームにゼッケンを取り付け、あわててウォーミングアップを行う。三段跳びが最初で競技に入ったが助走を合わせて、いざ始まってみると、風が追い風向かい風と回っている。こういう時は、助走のスタート地点の前後への微調整が必要になってくるが、風が一定していないためどうしてもファールが多くなる。そんなこんなの中でも、11m40跳べたのはまあまあの結果であろう。

三段跳びの6回目の試技が終わるや否や、ドーピングテストに選ばれたのですぐ医務室に来てくださいといわれる。1時間半後に走り幅跳びの競技があるのにユニフォーム姿のまま、まるで強制連行である。昼飯も食べなければ、次のアップもしなければと思っても、まずは連行に従うしかない。医務室に入って、ドーピングの説明を受ける。国際大会などで、初めてで戸惑わないようにとの配慮らしいが、なかなか面倒くさい。時間は経っていくが、競技が終わった直後で、とてもすぐにオシッコなど出そうにないので、走り幅跳びが終わってからということで納得してもらった。

そうしたら、監視員みたいな人が二人ぴったりと私と白井についてくる。二人の監視員に厳重に監視されながら白井はおにぎりを二つ食べ、飲み物も自分の責任の範囲内でといわれながら飲んでいた。走り幅跳び用のアップを簡単に済ませ、ピッチに入っても二人の監視員が影のように寄り添ってくる。

なんともやりづらい雰囲気の中で、走り幅跳びの競技が開始された。3回跳び終わったところで、白井がオシッコが出そうですというので、あわてて医務室に駆け込む。無事オシッコが出て、4回目以降の競技に向かったが、こんな状況の中では、とても集中して競技を行うことは難しい。結局、5m08という平凡すぎる結果で終わってしまった。

いろんなことが次々と起こり、普段とは違った競技への望み方となったが、バタバタしたり焦ったりしないで、できるだけ平常心で望めたのは収穫だったかなとおもう。起こりうる状況をあるがままに受け入れて、適切に対応していかなければならない。その中でベストを尽くすしかない。文句を言っても始まらないし、それ以上悪くならないように手を打つしかない。

今回の経験が、どこかで生きてくることを願うしかない。
次は、7月27日に日本を発ち地球の裏側のブラジルまで行って、視覚障害者の世界選手権である。世界と勝負してこよう。

矢野

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